もうダメだが

虚無感から逃げるためにとにかく今をしのぐブログ

オマイガー

近頃のインターネットはクズを許容しない

コミュニティからハジかれたとか具体的な経験があるわけではないのですが、最近、「クズだけど見所があればまあ許す」から「一見ヤバそうでも実際には人間的にマトモってことじゃないと話にならない」というふうに世間のしきい値が高まってるような印象があります。

主にTwitter上の印象なので実際ぜんぜんそんなことない可能性は十分にありますが、ただなんか馴染みのある場所が逐一「俺みたいなクズでも居ていい場所」から「最低限のマトモさは求められる場所」になってるとは強く思います。

なのでただのゴミクズである自分は居心地の悪さを感じていて、そのことをうまく受け入れられず、あー俺は今まさに淘汰されとるーとやや悲しい気持ちを覚えるのがせいぜいで、なんもできないのですが、なんか辛いのです。

マトモな人々からすれば俺みたいなクズがROM専とはいえうろついてる事実は(もし感知されたら)うっとうしいに違いないし、なるべくしてなってる感は大いにある。こないだ「病んでるのはダサい」ってフレーズを見てなおさらその思いが強まっている。弱者がしゃしゃってはいけない風潮が強まっている。だからどうしたって話なんですが、じゃあただちに更生して皆さんのようにマトモな振る舞いをできるかったらできない。なんなら自分のようなクズを排除する流れが形成されるのは自然だとさえ思う。思うのですが……

たぶんこのモヤモヤは自分がクズじゃなくなるように努力して、それを認めてくれる何らかのコミュニティに属さない限り解決しないだろうと思います。しかし実在する友達がゼロ人、コネクション皆無、親兄弟とさえ疎遠な真のロンリネスの私が今更どうやってそういう健常なコミュニティに属せるというのか。とっかかりはどこにあるのか、どうしたらいいのか、ぜんぜんわからない。そのわからなさは怠慢とか甘えとして処理されてしまう。最低限のコミュ力・コネクションもない真性のクズはマジでどこからも歓迎されず、したがってどこにもいるべきでない。

うまく言えないのですが、一昔前は「わきまえてる」人だったら暗黙に存在しても良かった。今はその「わきまえ加減」の要求が高く、わきまえてない奴は囲んで棒で殴られるみたいな習慣が出来つつあり、力ある健全な人々がその習慣が広く根付くことを望んでいる、そしてその願望は受け入れられている、というふうに見え、ライトに入っていくことさえ拒否されてる心地がします。

色々考えながら入力してるつもりでも、安ウイスキーにえずきながらシコシコやってたら自分がなにを主張したいのかさえよく分からなくなってきました。とにかく「いてもいいけど」が「いることさえ許さん」に変わってきてる感じが辛いです! いるぐらい、勘弁してください!